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Smile☆Cafe

童話・詩・小説・イラスト・ハンドメイド作品などのオリジナル作品や、お気に入の作品を紹介しています

目に見えるものがすべてじゃない

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小説をときどき書きたくなります。
頭の中では、常に世界が広がっていて、
脳内小説であれば、数えきれないほど書いてきました。

それを実際アウトプットして、
文字に起こそうとした途端に、
手が固まってしまう。

脳内では映像として
物語が映し出されています。
その世界を表現できる言葉を
見つけることができない。

自分の語彙力、表現力のなさに、
落ち込んでしまいます。

私の書く小説は友だちいわく
「よくわからん、へんてこりんなお話」
だそうです。

確かに、主人公が人間ではなくて、
家や、落とし穴や、道だったりします。

さらには、目に見えているものより、
見えない世界の方が発想も広がりやすく、
現実ではない空間を描きたくなるのです。

だからこそ、世界観にピタリとはまる言葉が
見当たらなかったりします。

本を読んだら文章力が磨かれる。
語彙力が増えて表現力が豊かになる。

一般的によくいわれること。
ですが私に関しては、当てはまらないようです。
それは言葉を意識して読んでいるかどうかで、
違ってくるのだと思います。

作家の方には申し訳ないですけれど、
私は雰囲気で流し読みをするタイプ。
この言い方が好きとか、
リズムが気持ちいいとか、
感覚で読んでいきます。

自分の中にある世界を
文字に起こしてみたい。
言葉で、文章で、表現したい。

こんな風に気持ちが変化してきた今、
読書に対する構え方も違ってきました。

いまさらながら、
作家の方の言葉に対する想い入れや選び方に
尊敬の念を抱いております。

誰かの心にそっと忍び入って、
足跡を残せるような作品が
書けたら素敵だろうな。
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豊かな人生は丁寧な暮らしから

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文明の利器が発展し、便利な世の中になりました。
このご時世、家電なども全自動化がすすみ、
家事に追われる女性にとっては頼もしいことでしょう。

家電に限らず、インタント、冷凍食品なども
どんどん改良され、味もよくなってきています。
料理をするのは好きじゃないし面倒、
なんて方にはありがたい世の中ですよね。

時間短縮、効率化・・・・。

ただ、それにともない大事ななにかを
置き去りにしているような心持ちになります。

たとえば、私は珈琲を愛飲しています。
一日に何杯も飲んでしまい、カフェインの取りすぎかと
危惧しないわけでもないですけれど。

以前はサイフォンで淹れていました。
フラスコに水を入れ、アルコールランプに火を点ける。
お湯が沸騰してきたらフラスコを一旦火から離し、
ロートに珈琲の粉を入れ、フラスコに差し込んだあと、
火元に戻す。

お湯がロートにあがってきたら、
粉にお湯がまんべんなく行き渡るよう
木べらで撹拌していく。

そうしている間に珈琲の香りが辺りに漂ってきて、
なんともいえない幸せを感じたものです。
ロートからフラスコに琥珀色の液体が落ちていく様を
眺めるのも楽しみのひとつでした。

手間と時間はかかるけれど、
代わりに極上の一杯を味わう
至福のひとときが、得られたものです。

それが今や。
インスタントの手早さに負け、
サイフォンで珈琲を淹れるなどということは、
全くしなくなりましたね。

先日も、友人からドリップ式の珈琲を
いただきましたが、お湯を注いでから
マグカップが満つまでの時間さえ待てない
自分にあきれたものです。

手軽な暮らしに慣れてしまい、
風流さのカケラもない雑な日々を
送っていたことに気づかされました。

経済的には余裕ができた今より、
ほんのささいなことにも喜びを見出し、
つつがない日々を過ごせていることに
感謝していた昔の方が、
本当は豊だったのではないか。
そんな気がしてなりません。

大きな幸せばかりに意識をとらわれていると、
目の前にある幸せを見失っていまいます。
それと同じですね。

もっとゆったりした気分で、
丁寧な暮らしをしていこう。
そんな小さな決意を胸に秘めた
このごろなのでした。


雑誌のバックナンバーを初購入

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気になる作家さんの存在があります。
本の内容やテーマは深く、関心はあるものの、
文体がどうにもあわない。
ですから本を買うまでには至らず、
なんだかモンモンとした気分のままいるのです。

出版している本はベストセラーであるし、
多くの作品を世に出し続けていることを考えても
優れた作家さんであることは間違いないのでしょう。

それゆえ本屋に行く度、
視界のはしっこで捉えてしまうのです。
意を決してパラパラとページをめくることもあるけれど、
やっぱり違和感がぬぐえず、そっと棚に戻してしまう。
そんなこんなをかれこれ数年も続けている有様。

昨年末、その作家さんが特集されている雑誌があって、
いつものごとく迷っている間に
書店では売り切れてしまっていました。
インタビュー記事の概要を見てしまってからは、
どうにも落ち着かなくて、
結局、Amazonでバックナンバーを初購入。

過去にもこういう作家さんがひとりいました。
その方の場合、本は買って読みましたね。
そして読み終えるたび、よくわからないという感想を抱きつつ、
なぜだか中毒のように手に取ってしまうのです。

こうしたジレンマを抱えることも、
ある種の楽しみでもあったりするから、
つづくく人って可笑しいな、と感じたりするのでした。

文体が全てを物語る

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小説にしても、エッセイにしても、
選ぶ基準は、面白さというより、世界観重視だったります。
そして 
これは何に対してもいえること。
なにかを選ぶとき、じっくり吟味するタイプではありません。
仕事、趣味、ファッション。
ほぼほぼ、インスピレーションで決めます。

と本題に戻りまして。
物語の世界観ってなんだろう。
ふと考えたりもします。

まずは喜怒哀楽で分類してみます。
読んでいて楽しい、嬉しい、面白い。
どちらかというと『プラスな感情』によるもの。

哀しい、腹立たしい、切ない。
『マイナスな感情』によるもの。

細かく見ていくならば、
癒し系、なごみ系、爽快系、痛快系などなど。

様々な考察を張り巡らせてみるものの、
なんだかしっくりきません。

そうして行き着く先はやはり文体
なのですね。
文体の定義を見てみると。

-以下ウィキペディアより抜粋-

文体(ぶんたい)とは、文章・散文のスタイルのこと。
文芸評論の研究対象になり、時にはある作品の背後に
作家性を見いだす際の根拠の一つとされる。

・定義
文体の定義はいくつか使い分けられる。
「和文」「漢文」「和漢混淆文」など、
言語の基本的な構造・表記法の違いにより分類される文体。

「だ・である調」のような常体、
「です・ます調」のような敬体など、文章の様式としての文体。



私的には自分とリズムが合う文体というのが、
心地よく感じるポイントだと思います。
この文体に違和感を感じてしまうと、
途端に内容が頭に入ってこなくなります。

このようなことから考えると、
文体というよりも作家との波長が合うかどうか、
ということになるのかもしれませんが。
 
今一番この文体が心地よく感じられるのは、
川上弘美さんです。
エッセイというジャンル自体、
あまり好みではない私ですけど、
この作家のエッセイは別で、とても気持ちよく読めます。

面白い、楽しい、こういう感情が
沸き立ってくる作品ではないものの、
しみじみ「いいなぁ」という
心持にさせてくれる作家さんです。

 




記憶のカケラが再び情熱に火を灯すとき

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初めて小説らしきものを書き上げたのは、
小学4年生のときでした。

当時SFがブームを巻き起こし、
ドラマやアニメ化もされていました。

そんなタイミングで、
私の中に、小さな小さな毛糸玉ほどの世界が
ぷくりと浮かび上がってきたのです。

カタチも定かではなく、はかないけれど、
それは確実に大きく膨らんでいき、
いつしかペンをとって書き始めていました。

その頃はパソコンはおろかワープロも普及しておらず、
原稿用紙にペンで書く、アナログな時代です。

お金を貯めて買った万年筆にインクをつけつつ、
原稿用紙のマスに文字を綴っていく。
その作業がとても厳かなことに感じられ、
どんどんのめり込んでいきました。

テーマは「目に見えるものが真実なのか」
ということでした。
SFの影響を多分に受けていたのでしょう。
異空間、異次元の世界。
それらはとても魅力的で創造力を
たくましくしてくれていました。
 
原稿用紙にして100枚ほど書き上げたでしょうか。
最後のマスに『了』の一文字を書き込んだ瞬間、
なんともいえない感情が押し寄せてきたのを、
今でもしっかり覚えています。

その原稿を募集していないにもかかわらず、
月刊誌として発売されていた
とある小説雑誌の編集部にあてて郵送しました。

物事の分別がつく年代になってから、
なんという『大胆不敵』かつ『はた迷惑』
なことをしてしまったのかと
自身の厚顔無恥さにあきれたものです。

小学生の落書きのような原稿など
ゴミ箱に捨てさられるのが関の山。
常識的に考えるならば、
そうなっていてもおかしくありません。

ところが幸いなことに
私が初めて書き上げた小説は、
ゴミ屑として扱われることはなかったのでした。

どうしてそれがわかったのかというと!
送ったことさえ忘れていた私のもとに、
一通の手紙が届いたからです。

しかも・・・・。
その手紙の差出人のところには、
編集者の方ではなく、著名な作家の方の
お名前が記されていました。

小学4年生の子どもにあてた文面ではなく、
作家のたまごに対しての批評がそこに綴られていました。

一言一句までは記憶してはいませんが、
大筋の内容としては次のようなものでした。

発想、着眼点、世界観には光るものがあるけれど、
それに言葉の表現が追いついていない。
これから様々な経験をしていくことで、
文章にも深みがでてくるだろう。
だから、がんばって書くことを続けなさい。

大まかな内容としてはこんな感じだったと思います。
読み終えたときにはそれはもう、
天まで昇るような夢心地でしたよ。
作家になる才能が私にはあるんだ。
なんて、調子に乗ってしまいましたね。

大人になるにつれ、それが簡単ではなく、
作家への道は、遙かなる彼方へ
どんどん遠ざかっていきましたから。

子どものときはなにも考えず、
本能のまま、欲望のままに行動できます。
何者にでもなれる夢と可能性という宝物を
たくさん抱えている時期でもありました。

そのときの勢いのまま大人になれたら
どんなによかったことか。

ただ一定の年代を越していくと、
肩の力がふっと抜けてくる瞬間があるのです。
まさに今年がそんな感じでしょうか。

55歳を迎える年となって、
ただただ、書くのが楽しかった純粋な気持ちに
立ち還っていくような気がします。

また物語を紡いでみたくなりました。